NTRが男尊女卑的であるという批判に寄せて―その3

男A……寝取られる男(被害者)

女A……???

男B……寝取る男(加害者)

 

人物の関係性

寝取られ男と寝取り男は表裏一体、強弱の違いはあれど相互依存の関係として描かれる

 

人物の役割

NTRという概念を中心にして、それぞれ被害者と加害者という役割を割り振られている

 

この前提を踏まえたうえで 

女はどのような関係性の中で、どのような役割を与えられているのか

それを考えると

 

女A……加害者兼被害者

 

となります。

これもあくまで責任や善悪の意味ではなく、一連の流れの中での役割を示しているに過ぎません。

前提として様々な理由、状況がありますが、男Aを裏切ったという意味では加害者だし、男Bに裏切りを迫られたという意味では被害者なので、比重の違いはあれど、両方の役割を持つことになります。

 

所有元が男Aから男Bに変わるだけだ

という認識は表面的なものでしかありません。

 

寝取られは男A(寝取られ男)が対象だが、寝取りは女が対象になっているのだから。

 

 

男がAとBの二人で二つの役割を分担するのに対し、女は一人で二つの役割を担っている

 

男は「名前をつけて保存」だが、女は「上書き保存」である

というのはよく聞く文言ですが、これはひとつの傾向であるとはいえ、真理でしょう。

 

男の浮気はあくまで浮気だが、女の浮気は本気である。

これもやはり傾向とはいえ、創作としてのNTRの本質と密接に繋がっている表現です。

寝取られ男の軽い浮気が導入部に用いられるのはNTRにおいて珍しいことではありません。

 

男は空間に依存し、女は時間に依存する

 

NTRというひとつの劇の中で、空間によって変化するのが男で、時間によって変化するのが女である

 

言い換えると

男は寝取られ男と寝取り男の二人の人間に分割されることで空間の違いを

女はNTRの流れによって進行する時間の違いを

それぞれ変化の軸にしているのです。

 

NTRにおいて

寝取られ男は純粋で、愚かで、消極的な男として

寝取り男は狡猾で、魅力的で、積極的な男として描かれていますが

ヒロインたる女は上記の要素を全て持っています。

 

寝取り男も寝取られ男も最初から最後まで、基本的な性格付けはブレません。

なぜなら空間にひもづいているから、二人の人間の違いが男の性質の違いなのです。 

 

一方女は、最初と最後ではまるで別人のように変化することも少なくありません。

時間にひもづいているから、時間の前後による一人の人間の中での違いが女の性質の違いなのです。

 

時間の流れで見せるものを変えることによって、優しく可憐な印象から、卑しく低劣な印象、恐ろしく強かな印象にまで、まるで別人のような変化を演出することができるのです。 

 

つまり女においては

人物の関係性

寝取られ男と寝取り男、それぞれに対して依存する関係として描かれる

 

人物の役割

NTRという概念を中心にして、寝取り男に対しては被害者として、寝取られ男に対しては加害者としての二つの役割を併せ持っている

 

ということになります。

 

以上のことから、NTRにおいて女性が男性に対して卑しいもの、ましてや劣っているものとして描かれているという批判は、本質を捉えていないと言えるでしょう。

 

NTRという劇を構成する三人の登場人物として男女の担う役割は、本来であれば極めて対等であり、対等でない場合にはその魅力が損なわれてしまいます。

性としての劣等を差別的に描くどころか、男女の違いを浮き彫りにしつつ、貪婪な不貞描写の陰には一人の女が二人の男の持つ要素を全て併呑する存在として、中心に据えられていることが窺い知れるのです。

 

どれだけ描写が男尊女卑的に見えても、概念としての本質、劇としての構成はいずれも男女が対等であることを強く要求している

 

それが結論です。

 

 

 

 

男尊女卑への批判から公平性、男女論みたいなわけのわからない長文になりましたが

 

 

 

僕は女の人がむちゃくちゃに汚されながら必死に耐えて耐え続けたけど最後は自分から快楽の一線を飛び越えて最低な顔を晒しながら喘ぎまくり社会的動物としての尊厳を投げ捨ててしまうようなNTR漫画で自分の精子を殺しまくるのが大好きです。

 

 

おわり